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【登校拒否・不登校の歴史】不登校は病気?子供がいけないの?

不登校支援と教育
A3DigitalStudio / Pixabay
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不登校の歴史と世界の動き

今回は2001年に発表された。日本教育行政学会『教育行政総合事典』を基に子供たちの、登校拒否・不登校の歴史について考えていきます。

情報が古いかもしれませんが、今あるデータを基にお伝えいたします。

2000年発表された、文部省の『学校基本調査』によると、1999年度において、学校を1年間で30日間欠席した生徒の数は、小学校26,047 人、中学校104,180 人確認されていました。このころから不登校をなんとかしなければいけないと、国が対策をし始めます。

詳しい不登校の数はこちらで最新のデータを紹介しています。

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1. 世界の歴史

日本が不登校のデータを本格的に取り始めたのは1950年代頃だと言われています。アメリカやイギリスなどでは1930年代からすでに研究が始められていました。この差を見ても、日本の取り組みはいつも後手に回っているのが伺えます。

登校拒否・不登校の事は元々英語で、school phobia(学校恐怖症)と初期の段階では言われてました。〇〇 phobiaとはよく英語で使われる表現で、○○恐怖症と言いたいときに使うことが出来ます。

しかし、研究と調査が続けれていく段階で、かならずしもschool phobia以外の原因が見えてきたのです。そうなると定義と名前をかえなくてはならないので、school refusal と名前が変更になり一般化しました。1970年ぐらいの時の事でした。

不登校は元来病気として扱われており、精神医学の先生たちの研究対象とされ、治療されるべき病気として理解されていました。

2. 日本の歴史

日本においては、不登校は怠学(やる気のない、道徳がない)が原因だと、1950年代は考えられていました。今でもこう考えている人が多いかもしれません。実際私の不登校の原因は、怠学が原因でした。でもそれ以外の原因も多くあり、我々が理解して救ってあげる必要があるのです。

1970年代の日本では、不登校=学校嫌いとして定義をして、調査を進めていきました。そしてその数は年々増加していくのが明らかになってきたのです。ここでやっと精神病として片づけられる問題ではなく、社会的な問題として対処する必要があると注目を集め始めました。

そして、次の10年でやっと問題の本質、学校での教育システムや学校の役割が不登校の根本的な問題と議論されるようになりました。1980年代のことです。さらには不登校自体を肯定する考え方が出始めたのもこのころ。不登校は病気じゃないと多くの人が考え始めました。

文部省は、これらの考え方の変化を受けて不登校に対す定義、考え方を一変させます。不登校は性格が偏った人にだけ陥る病気的なものではなく、すべての子供たちに共通する潜在的な学校に対する不満が原因だと明文化しました。

このころから学校でも、登校拒否に対する対策が必要だと議論が始まり、予防する大切さが理解され始めました。

ここまでは「登校拒否」という呼び方が一般的だったか、1990年ごろから「不登校」(non-attendance at school)という呼び方に変わり始めるのです。登校拒否の原因と定義が年々変わっていくにつれて、かならずしも登校を拒否しているわけはない、ということが分かってきた際に名前を不登校と変更しました。正確には1998年に不登校と文部省が明記しました。

3. まとめ

不登校は元々は子供に原因があると考えられており、特に子供の心理状態、性格、怠学が大きな原因だと考えれてきました。そこから治療するべき病気という考え方、学校に原因があるのではないか、そして、現在の社会の問題へと発展してきたのです。

子供は学校に通うものだという固定概念は、今でも多くの方が持っているのではないでしょうか。この前提がある限り不登校はなくならないでしょう。学校の権威、絶対性が薄れてきた現代において、学校に通うべきなのかをもう一度議論していく必要があると私は考えます。

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